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萩本欽一さんと言えば、だれもが知るお笑い界のレジェンドです。
ただ、高齢ということもあって、最近はテレビで見ることはあまりありませんよね。
今回は、そんな萩本欽一さんについて、
・年収や資産
・兄弟
・孫や姪
・世田谷や二宮町の自宅
などについて調査しました!
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Contents
萩本欽一の年収や資産は?
幸せとは形じゃない。幸せとは気分だと思っている。 萩本欽一 pic.twitter.com/WrSjAkKHqe
— 心に残る芸人名言集bot (@geininmeigenbot) February 29, 2020
萩本欽一さんは全盛期は自分の番組を何個も持っていて、超売れっ子でしたが、その時の年収というのは、一体どれくらいだったんでしょうか?
ある番組で、小堺一機さんが以下のように語っています。
萩本が、高視聴率をたたきだしていた「視聴率100%男」時代のこと。喫茶店で同席した小堺は、萩本の給料袋がテーブルの上で立っていることに驚く。「お前もこれぐらい稼げ」と言われ、小堺は「はい!」と元気良く返事をした。
しかし、萩本の「言っておくけど、これはお札で立ってるんじゃないからな」に目を丸くする小堺。封筒の中身は、すべて小切手だった。小堺は「えっ! 小切手で立ってるんですか!?」と衝撃を受け、自分自身が立ち尽くしてしまったという。
お札であれば、立たせるためには300枚以上は必要でしょう。
小切手が一枚いくらだったのかはわかりませんが、1枚10万円とすると月収3000万円、1枚100万円とすると月収3億円になりますね。
ちなみに、漫才ブームの時にビートたけしさんは200億稼いで、180億税金で持っていかれたという発言をしています。
ものすごい金額ですよね。
この金額から考えると、萩本欽一さんも月収3億で年収36億円くらいあったのかもしれないですね。
現在、萩本欽一さんはテレビ出演をほとんどされていないため、最近の年収はかなり減っていると思われます。
ただ、萩本欽一さんは書籍を多数出版されていて、2020年1月には「マヌケのすすめ」という本が出版されています。
また、2011年に出版された「ダメなときほど運はたまる」という本はかなりのヒットになったそうですよ。
なので、現在でも数千万円の年収はあるかもしれないですね。
資産についても、神奈川県二宮町の自宅や個人事務所が持っている世田谷区太子堂のビルだけでも数億円になるでしょう。
萩本欽一の兄弟は?
「笑い」は相手がいて、初めて生まれるんだよ。 相手を信用しないと笑えないよ 萩本欽一 pic.twitter.com/bk7s3zLINm
— 心に残る芸人名言集bot (@geininmeigenbot) March 7, 2020
萩本欽一さんは男4人女2人の6人兄弟で、萩本欽一さんは三男です。
今では6人兄弟というととても多いですが、当時は意外と普通だったようですよ。
長男は萩本功さんという名前で、年齢は現在92歳です。
小さい頃から父親のカメラ屋を手伝っていたとのこと。
1971年にサカイ薬品という会社を設立。
平成9年に会社を解散して、現在はプラスロン化粧品株式会社の会長となっています。
他にも、写真下請け業の会社を経営していたこともあったりして、起業家という感じですね。
高齢になっても、会社の経営や講演会をしているそうで、かなりバイタリティがありますね!
萩本欽一の弟は、萩本悦久さんという名前です。
1943年生まれとのことなので、今年で77歳ですね。
萩本欽一さんの2歳年下ということになります。
東京学芸大学を卒業していて、卒業後は東京都千代田区立番町小学校などで教師をしていたそうです。
東京創価小学校の校長をしていた時もあるそうですよ。
現在は、創価大学通信教育部の非常勤講師をしたり、講演活動を行っているとのこと。
弟の萩本悦久さんも、精力的に活動されていますね!
萩本欽一の孫や姪について
あ~ねむいなあ~ by 萩本欽一 pic.twitter.com/ihu2qKOdU1
— 摩訶レコードbot (@jyake_ten_bot) March 5, 2020
萩本欽一の孫について
萩本欽一さんには子供が3人います。
全員男で
- 長男が一童さん
- 次男が超史さん
- 三男が征九郎さん
という名前だそうです。
ただ、子供たちの情報はほとんどなく、結婚しているのかどうかもわかりませんでした。
なので、孫がいるかどうかも分かっていません。
ただ、長男の一童さんが1975年生まれなので、今年で45歳です。
子供もいい年齢なので、孫がいる可能性はかなり高いでしょう。
萩本欽一の姪は会社社長!
萩本欽一さんの姪は、プラスロン明世さん(本名河嶋明世)という名前で、プラスロン化粧品株式会社の社長です。
プラスロン明世さんは、萩本欽一さんの兄である萩本功さんの娘です。
プラスロン明世さんは成蹊大学の出身で、大学卒業後は証券会社に入社しています。
1992年にはプラスロン・カワシマ(現プラスロン化粧品)の代表となっています。
プラスロン明世さんは、1967年生まれですから、25歳の時にすでに自分の会社を立ち上げていたことになりますね。
父親の萩本功さんに似て、経営者気質なんでしょうね。
ちなみに、姪ではありませんが、萩本欽一さんの姉の孫が元プロビーチテニス選手の萩本愛里さんです。
ラグビーのアサエリ愛選手と結婚したことでも話題になりましたよね。
萩本欽一さんの身内には、成功した人がたくさんいますね!
https://geev.jp/nakanoryouko-imananishiteru/
萩本欽一の世田谷や二宮町の自宅について
芸能界のレジェンド萩本欽一は70代で大学生をやった pic.twitter.com/JdQOZT8Xy7
— ブルースカイコーヒー (@blueskycoffee23) January 28, 2020
萩本欽一さんの自宅は神奈川県中郡二宮町にあります。
芸能人というと、都心に家を構えることが多いですが、神奈川県でも都心からかなり遠い二宮町に自宅があるというのは、意外でした。
この二宮町の自宅で、3人の子供を育てたそうですよ。
二宮町は海も近くて自然も豊かなので、こういった環境で子育てをしたかったのかもしれませんね。
萩本欽一さんはインタビューで世田谷の自宅ということを言っていたので、少なくとも一時期世田谷に自宅があったことは間違いないでしょう。
世田谷の自宅が現在もあるのかは不明ですが、萩本欽一さんは萩本企画という個人事務所をもっていて、その萩本企画が世田谷区太子堂に本社ビルを持っています。
なので、そこが自宅の可能性もありますね。
https://geev.jp/fujimanami-genzai/
まとめ
萩本欽一さんについて色々書いてきましたが、いかがだったでしょうか?
まとめると、
・長男は萩本功さんで、プラスロン化粧品株式会社の会長
弟は萩本悦久さんで、元東京創価小学校の校長
・年収は全盛期は30億以上?現在でも数千万はあると予想
資産も自宅や自社ビルで数億円はありそう
・孫はいるかどうか不明
・姪はプラスロン明世さんで、プラスロン化粧品株式会社の社長
・神奈川県二宮町に自宅がある
世田谷にも自宅があったときがある
78歳ながらまだまだ元気な萩本欽一さん。
これからも、多くの人を笑顔にしてほしいですね!
最後までお読みいただき、ありがとうございました。